1. ホラーへの原点回帰
岩田
今日はニンテンドー3DSソフト
『BIOHAZARD REVELATIONS』を
手がけたカプコン(※1)のみなさんに
お越しいただきました。
ご足労いただきありがとうございます。
川田
こちらこそ、こんな大人数で
押し掛けてしまってすみません(笑)。
岩田
いえいえ、ありがとうございます。
それぞれ立場の違う方からお話をうかがったほうが、
このソフトのことが立体的にお伝えできて
お客さんに楽しんでもらえると思いますので、
今日はよろしくお願いします。
一同
よろしくお願いします。
岩田
では最初に簡単な自己紹介と、
みなさんがご担当されたことを
お話ししてもらいたいと思います。
川田さんとは以前、社長が訊く『ニンテンドー3DS』
ソフトメーカークリエーター篇のときに
お目にかかっていますので2回目ですね。
川田
はい。今回の『リベレーションズ』の
プロデューサーを担当しております、川田将央です。
となりは、僕のアシスタントプロデューサー
というかたちでチームについて動いてもらっています、竹中です。
竹中
竹中司といいます、よろしくお願いします。
僕は『ロックマン エグゼ』シリーズ(※2)を担当しておりまして、
『ロックマン エグゼ5DS』(※3)のディレクターなどを務めました。
その後『バイオハザード5』(※4)では、
中西と企画マンをやっていました。
岩田
カプコンさんでは、社内で企画を担当する方を
“企画マン”と呼んでおられますよね。
中西
そうなんです。
でも、改めて考えてみると、
なんで“マン”なんですかね?(笑)
川田
デザイナーは“キャラマン”とも言いますし、
プログラマーは“ソフトマン”と呼んでいますね。
男女関係ない呼び名ですね。
で、そのとなりは・・・って、
わたしがこのまま全員紹介してもいいですか?(笑)
中西
じゃあ引き継ぎまして(笑)、
『リベレーションズ』のディレクターを担当した中西晃史です。
僕はカプコンはそれほど長くなくて、じつはまだ4年なんですが、
『バイオハザード5』の途中から企画マンとしてかかわっています。
川田
今回のプロジェクトの長は僕なんですが、
みんな業界歴は15~16年と、
ほぼ変わらないんです。
続いての堀は、違う業界から来たんですけど、
それでも10年戦士になります。
堀
はい、堀嘉純です。
今回アートディレクターとして参加しました。
入社以来、ほぼ『バイオハザード』シリーズをつくっていまして、
ずっと川田の下で、しごかれながらやっています(笑)。
川田
いつもやさしく接していますよ(笑)。
で、いちばん端が、サウンド担当の鈴木です。
鈴木
はい、鈴木幸太と申します。
業界歴は現在9年目です。
最近では『バイオハザード』シリーズの担当が多いんですけど、
僕はコンポーザーといって音楽を主に担当しています。
『バイオハザード5』や『マーセナリーズ』(※5)などを担当して、
今回も同様に音楽全般の取りまとめ役をしています。
岩田
はい、ありがとうございます。
ではまず、カプコンさんは3DSのソフトで
『マーセナリーズ』と『リベレーションズ』という
ふたつの『バイオハザード』をつくってこられましたが、
どういうキッカケで企画が立ち上がったんでしょうか?
お話しいただくのは誰が適任になりますか?
川田
ではわたしから話をさせていただきます(笑)。
わたしがこのプロジェクトに参加したのは
2010年のE3(※6)のちょっと前くらいからでしたね。
裸眼で立体視ができるスペックを持ったハードが発売されると聞いて、
単に携帯型に落としただけの『バイオハザード』ではなくて、
“本気の『バイオハザード』”をつくりたい、
という目標を打ち立てました。
もうひとつ、フルモデルチェンジを行った
『バイオハザード4』(※7)以降の
ナンバリングタイトルとは違う、
ホラーへの原点回帰を掲げました。
3Dとの相性もよいのではという確信もあったので、
本当に怖い『バイオハザード』を生み出すべく、
チーム編成を行いました。
岩田
長く続いているフランチャイズは
どんなものでもそうですが、
途中で大胆な変化を取り入れているんですよね。
だから『4』で大きく変えたことには
本当に大きな意味があると思うんですが、
一方で、『バイオハザード』シリーズ初期にやっていたことは
本当に怖いホラー路線だったということですね。
川田
そうです。じつはいまだに、
ゲームキューブの『バイオハザード』(※8)が
最高峰だと言われる方も多いんです。
だから今回は“怖い”ところでみなさんに
楽しんでもらえる内容にしたいと考えました。
当然、いままで培ってきたノウハウを活かして
エンターテインメントとして楽しめる
ボリューミーな内容にもしたい、という話をしました。
竹中
最初のE3のデモは、どちらかというと
3DSというハードでどこまでできるかを見てもらう、
コンセプトトレーラーっていう感じのイメージで、
「我々はこのレベルでゲームをつくります!」といった、
世間に対するお約束みたいなものでした。
岩田
お客さんと表現の品質を先に約束してしまって、
いわば“自分たちの尻を叩く”状態にしたんですね。
竹中
そうです。
ハードルを自分たちで設定してしまったわけです(笑)。
中西
ただ、それで実際に見えてきたスペックがあって、
とくに3Dの持つ臨場感は
ホラーっていう“バイオ空間”とすごくハマったので、
「この方向でいこう」とE3後に決まっていったんです。
川田
でも、あのころはまだ3DSそのものを
十分に触れていなかったので、
立体視の部分があまりうまくいってなかったんです。
今回そういう反省もあって、
展示の機会があるたびに試遊版を出展して、
できるだけ多くの人に触ってもらって
その時点で出た不満点をできるだけ解消していきました。
中西
今回、それが非常に役立ちました。
岩田
お客さんに体験いただく機会を
アピールの場だけじゃなくて、
体験していただく方々とのキャッチボールの場にしたんですね?
ゲーム機って不思議で、いろいろいじっていると
性能を引き出す方法がどんどん見つかっていきますよね。
あるチームがゲームをつくるとき、
1回目より2回目、2回目より3回目のほうが、
絵づくりからゲームそのものを変えられるんですよね。
川田
そうです。
じつは当初、やろうと思っていたものよりも、
さらに一段上のものがつくれるんじゃないかと思って、
「まずは『マーセナリーズ』をつくらないか?」
って話をしました。