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初めて涙があふれたゲームでした。
小学校4年生くらいの頃の作品でした。
ディスクシステムを持っていなかったので、友人から借りてやっていました。ディスクシステムは当時の我が家には高値の花だったんです。
未知のハードの未知のソフト。プレイ寸前、僕の気持ちはすでに高ぶっていました。
シンプルな文章ながらも深い内容だったんだと思います。
とにかくプレイ中はドキドキしっぱなしでした。笑ったり、ぎょっとしたり、鬼の行動に本当に怖がったり。。。
女の子(ひかり)も男の子(どんべ)もたくさん喋るキャラクターではなかったですが、気がつけば物凄く感情移入していました。
前編も後編もどちらも鬼の隠れ家に潜入するシーンがありますが、本当に緊張したのを良く覚えています。鬼の描写が非常に優れていたと思います。良くある、裸にトラのパンツという古典的な鬼。もはやそういう鬼は半分ギャグですよね。それに対して、この作品の鬼は、何となく「犯罪者集団」という趣もあり、妙にリアルでした。幼心に非常に怖かったのを覚えています。
あとは音楽。
とにかくこの作品の音楽は未だに僕の中でのゲーム音楽No.1です。
どんな大作RPGの音楽も、この作品の音楽にはかなわないと思います。
たぶんそれは、この作品が「想像力」をかきたてる作品だからだと思います。初期のファミコンのほとんどがそうであるように、この作品が発売されたころはグラフィックも簡単なものしか表現できなかったので、シンプルな描画になっていますよね。
それが逆にプレーヤーの想像力をかきたてていたんだと思います。
自分の頭の中、心の中で、画面上には現われていない場面を想像して、補完していたと思います。
それだけ、プレーヤーの「感情」に依存する作品でした。
そうやってプレイしている最中にかかるBGM。
心に染み込まないはずがありません。
また、純粋に曲が素晴らしかったとも思います。
ディスクシステムならではのFM音源もそれを助けていたと思います。
音楽もシステムもグラフィックも近年どんどん発展していますが、その分プレーヤーの「想像力」を必要としなくなっているのが最近のゲームだと思います。
それは決して悪いことではなく、技術が上がった当然の結果です。
けれど、大人になった今となっては、あの頃のシンプルな描画やシステムのゲームの方が、日常から離れられるという意味で、「良かったな」と思えてしまうんですよね。
何もかもがリアルなのは日常の連続に思えるんですよね。
「疲れた大人は癒されたい=日常から脱却したい」…ってことなのかなと思います。
そういう意味で、ファミコン作品、そしてこの作品は素敵だと思います。
そうやって感情移入たっぷりで迎えるエンディングは正真正銘「感動」の一言です。
今思い出すとわずか2分くらいのエンディングだったと思うんですが、強烈に印象に残っています。
今までの旅の仲間たちと一人また一人と別れていく。。。
最後に男の子一人になったとき、彼は駆け出していくんですよね。
その駆け出していく先には、自分を拾って大切に育ててくれたおじいさんとおばあさん。。。
その場面で初めておじいさんとおばあさんが無事に戻ったことが分かるわけです。
頭の中に、おじいさんとおばあさんと男の子との平和だったころのシーンがフラッシュバックしてしまいます。やっと男の子はあの平和で幸せだったころに戻れるんだなぁと。良かったなぁと思えるわけです。
ゲーム中でおじいさんとおばあさんと再会するシーンを作らなかったことは今思えば、最高の演出でした。
エンディングはいわゆる紙芝居的な流れで進みます。
台詞も無いです。
けれど、それで十分でした。
「想像力」で、全てを補えていたんですから。
この作品を思い出すと、胸がきゅぅ〜っと切なくなるんです。
涙、笑い、アクション、感動、、、、。
全てが詰まっている、最高のエンターテインメント作品だと思います。
小学校の多感な時期にこの作品に出逢えたことは本当に幸せでした。
自分に子供ができるようなことがあれば、この作品をぜひプレイさせたいと思います。
こんな素敵な作品を生み出してくれて、
本当に本当に感謝です。 |
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友達とやっていたときのこと、自分がトイレに行っている間に年貢率を100%にされ、案の定一揆が起きてすぐ滅ぼされました。
今となってはどうでも良かったのですが、そのときは本気で怒りました。 |
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説明書に、
「ハドソン!ハドソン!」とマイクに叫ぶと、
戦闘機を呼ぶことが出来る
と書いてあった。
当時小学2年くらいだった俺は「ハドソン」という言葉じゃないと
反応しないもんだと本気で思っていたので、
その頃は家中に「ハドソン」という絶叫がこだましていた。
それを大笑いしながら母親が見ていた。
それからというもの、母親がすっかりその光景にツボにはまったらしく、
食事の時間になって俺を呼ぶときも
「ハドソン!ハドソン!!」と連呼するようになってしまった。
正直、あれはやめてほしかった。 |
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私のなつかしのあの一本は、ドラクエUです。
当時大流行、社会現象にまでなった作品は当然、私の周りでも
ゲームの話題で持ちきりでした。 誰が早くクリアーするか、レアアイテムを持っているかなどとにかく
友達に負けたくないという一心で、夜遅くまでやっていました。 あるとき余りに夢中になり過ぎて、朝起きると母親が「大丈夫?夜中にうなされてたよ」と心配してきました。話を聞くと真夜中に私の部屋から声が聞こえてきて、まだゲームをしているのかと注意しようと母親が様子を見にくると私は眠ったまま、寝言で「うーん、呪文が〜」とうなされていたそうです。しかも、半分まぶたが開いた状態で… 今でも母親とその話になると、本当にあの時はびっくりした気持ち悪かったとこぼしています。(気持ち悪いは言い過ぎでは…) |
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小学生の頃、スカイデストロイヤーの
自機が無敵になるコマンドが載っている
雑誌がほしかったのにおこづかいが
少なくて買えず、暗記して本屋を飛び出し
自宅まで念仏のようにとなえながら
帰りました(一度では覚えきれず、
行ったり来たりするはめに……)
そんな自分が、ゲーム雑誌の編集者に
なるとは、当時思ってもみませんでした。 |
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私が自前のファミコンを持っていなかった頃、従兄弟の家にお泊りに行き、夜遅くまで「ベースボール」をプレイしていた。ご多分に漏れず、大人からゲームの禁止が通達されたので、一旦はプレイを止めたが、皆が寝静まった頃に、従兄弟と寝床から抜け出して、コタツに潜り込んでプレイを続行した。当時の私たちは小学生であったので、プレイ中にいつのまにか眠気に襲われ、コントローラーを持ったまま眠りに付いていた。翌朝、この姿を大人に発見されて、二人ともこっぴどく叱られた。説教の最中に、お互いが目線で「説教が終わったら、またやろう。」とアイコンタクトを交わしたことを、今でも良い思い出として記憶している。 |
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私が小学校5、6年生の頃、父が会社帰りに一本のゲームソフトを買ってきました。
それが、私とドラゴンクエストとの最初の出会い。
当時、RPGというジャンルのゲームに馴染みの無かった私は、
ルールを理解するのが大変でほとんどプレイできませんでした。
逆に父のほうが「ふっかつのじゅもん用ノート」などを準備したりで、
ドラクエの世界を存分に堪能(没頭)していました(笑)
そして、会社からまっすぐ帰ってくると真っ先にファミコンの前に座るという生活がスタートしました。
様々な謎解き、冒険の末、いよいよ竜王のいる城に突入することになりました。
そのとき私は隣で一緒にゲーム画面を見ていました。
鍛え上げられた「父の勇者」はダンジョン内に現れるモンスターを軽く蹴散らしていきます。
そして、父が竜王と対決し、勝負を決めたとき、
私の中には「何でもできるすごい父さん」という強烈な印象が残りました。
あの頃の父はとても格好良く見えたものです。
今ではすっかりゲームとは縁遠い生活を送っているようですが、
時々テレビのニュースなどで「ドラクエ」の話題が出ると、決まって「昔話」が始まります。
「昔のドラクエって、ふっかつのじゅもんが大変だったよなぁ。『ぬ』と『め』で間違えたりして…」
昔の苦労話を語る父の顔は何だかとても嬉しそうです。
たくさんの思い出が詰まったドラゴンクエスト。
あまりうまくコミュニケーションが取れなかった父との数少ない接点だったドラゴンクエスト。
…物語以上の思い出を、どうもありがとう…。
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ひたすら登る・・・。
とにかく登る・・・。
邪魔をされても、仲間に裏切られても・・・。
毎日毎日、友達の家に遊びにいった。
当時のファミコンはとても高価で持っていると、それだけで
人気者になれた時代。
学校では仲良く遊ぶ友達でも、コントローラーを握ればライバル。
勝つためには容赦はしないし、負ければ本気で悔しがる。
ゲームを通して、勝つこと、負けることを本気になって体験した
時代。
社会人として成長した今の自分のどこかに「負けん気」をくれた
のは、「アイスクライマー」なのかもしれない・・・。 |
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スーパーマリオブラザーズのコマーシャルを見た瞬間の感動は今でもはっきりと覚えています。「買わなきゃ!」当時まだ小学生だった私は親に必死で頼みこみ発売日に何とか手に入れたものの3人兄弟の我が家は順番争いでケンカが絶えず ついに「1Pのみ使用・ゲームオーバーで交代」という行列制度が施行されてしまいました。いつのまにか近所の友人達まで行列に混じりこみピーク時には10人待ち。トイレに行くのも我慢しながら自分の順番を待ち焦がれていたものです。みんな自分が一番最初にピーチ姫を救けたくて夢中でした。とても熱くて懐かしい思い出です。 |
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当時、中学2年生だった私のクラスに、中山美穂さんの大ファンでこのソフトを買った男の子がいました。彼はアイドルのゲームを買ったとクラスのみんなから馬鹿にされ、「ミポミポ」というあだ名までつけられてしまいました。実は私もこのソフトは予約して発売日に買ったのですが、彼の境遇を目の当たりにしては、誰にも話すことができません。美しく、感動的なエンディングについても、誰とも語り合うことはありませんでした。卒業して以来、ミポミポ君とは会っていませんが、今、彼とお酒を飲みながら、そんな話ができたら最高ですね。 |
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