『MOTHER』というゲームって、なんなんだろう。
いまでも、ほんとうに答えるの、むつかしいです。
子どもたちが、おもちゃ箱にある人形やら、
台所のいらなくなった食器やら、
工具入れの中から探し出したボルトやナット、
庭先の葉っぱや小花、
そういうものを、でたらめな歌を歌いながら
カーペットいっぱいに並べて、
その世界についていくらでも話しはじめるような。
そんな感じで、『MOTHER』はつくられたのです。
そりゃ、ぼくも、おとなですから、
もっとこのあたりに角度をつけようだとか、
このへんに、こうしてこの秘密を隠しておいてとか、
少々いじわるな工夫も、惜しみなくいれてますけどね。
そして、そこに、
ほんとうにたくさんの友だちが遊びに来てくれて、
それぞれの楽しみ方で、
シンプルな根っこと幹だけの物語に、
枝や葉や花をつけてにぎやかにしてくれた。
だからもう、遊んだ人の数だけ
『MOTHER』はできてしまいました。
あちこちで、ちがう用件で会った人たちから、
「ぼくは、マザーってゲームをやって
イトイさんを知ったんです」と話しかけられました。
ゲームが発売になったときに言われたのではなく、
それから時間がずっと経ってからも、同じです。
いろんな人たちが、
ぼくが『MOTHER』という遊び場にちらかした、
ちっぽけな安全ピンやら、色ガラスのかけら、
枯れかけた葉っぱなどについて思い出を語ってくれる。
「よく、そんなこと憶えているね」と言うと、
「あの世界のすみずみまで、ぼくは好きだった」と、
目を輝かせて言ってくれたりもします。
「ぼくもだよ」と、ぼくは言います。
おっと、ああ、そうかもしれない。
ぼくは、ちっぽけなものや、ろくでもないものまでも、
みんな大事にされるような遊び場が、
つくりたかったのかもしれない。
つくる前には考えていなかったはずのテーマは、
遊んでくれた、世界中のなかまたちが、
発見してくれたようでした。
そうだねぇ、そういうことを、ぼくもしたかったんだね。
『MOTHER』をつくっていたときにも、
じゅうぶんに大人だったぼくは、
三十年近くもの時間生きてきて、
さらに大人になりました。
あのころには考えなかったようなことも、考えます。
例えばね、
「どんな人間として死んでいきたいか?」なんてこと。
もう結論は出ているんです。
「お通夜のにぎやかな人がいい」ってね。
亡くなったご当人が、生きている間に、
なにをやらかしたのか、どうアホだったのか、
どんな楽しみを持っていたのか、
そして、ときどきどんなにやさしかったのか。
いろんな人たちの思い出のなかにいるはずです。
それを、生きている人たちが、笑いながらね、
先を争うように周囲の人びとにしゃべろうとする。
そんなパーティができるような、人生。
栄誉も冨も、功績も、記録も、あんまり意味ないよ。
「あいつがさぁ‥‥」と、
みんなが語るエピソードのなかにこそ、
その人がいるのだと思うのです。
いや、別に、死んでもいないし人間でもないけれど、
『MOTHER』というゲーム、ちょっと、
そんなやつみたいなんだよなぁ。
‥‥どうぞ、また、いくらでも遊べるようになった
『MOTHER2』と、さらに別の誰かさんと、
楽しい思い出をつくって味わってください。
こんな日が来て、うれしいです。
このゲームに関わったたくさんの人たちも、
きっとものすごくうれしいと思います。
すべてにありがとうございました。