糸井
任天堂は、とりわけ宮本さんは、
3Dのおもしろさを表現するということに対して
ずーっとトライし続けてきたわけですね。
宮本
そうですね。
でも、それは、山内(溥)さんが
ずっとこだわってきたテーマでもあるんですよ。
糸井
ああ、なるほど。
宮本
なにかというと、山内さん、
「3Dはどうや?」っておっしゃるんです。
岩田
「飛び出さへんのか?」って(笑)。
糸井
バーチャルボーイもお好きでしたよね、山内さん。
宮本
飛び出すのがお好きなんですよ。
一同
(笑)
糸井
いやぁ、そうかぁ。
つまり、山内さんと宮本さんの中に、
「3D」というものがテーマとして
ずっとあったわけですね。
岩田
そういうことになりますね。
宮本
そうですね。
そういえば、DSとWiiを出して以降、
3Dへの取り組みというのは
ちょっと途絶えていたんですけど、
そんな中で、唯一3D表現を目指したのが、
「時雨殿」(※19)だったんですよ。
岩田
「時雨殿」っていうのは、
山内さんがつくり、宮本さんがプロデュースした
百人一首のテーマパークです。
糸井
はい、はい。
宮本
時雨殿をつくってたとき、
山内さんのたっての希望が
「飛び出さへんのか?」っていうことで(笑)。
一同
(笑)
糸井
はぁー。
宮本
けっきょく、方法論としては
いいところまでいったんですけど、
開発の時間がとれなくて、
飛び出すことはあきらめたんです。
でも、そのときに液晶のこととか、
いろいろ研究させてもらうことができて。
岩田
そう、思いがけず、3Dの勉強になったんですよね。
糸井
そういう話を訊いてると、
山内さんの役割って、やっぱり大きいですねぇ。
宮本
大きいですよ、それは。
糸井
じゃなきゃ、こうなってないよね。
それはもう、会社全体が。
岩田
こうなってないです。
たとえば、ニンテンドーDSが
なぜ2画面になったかというと、
山内さんが2画面にものすごく
こだわってらっしゃったからですよ。
とにかく「2画面にしてくれ」という要望があって、
その強いリクエストがあったおかげで、
私と宮本さんは、ある意味、逆算するような形で、
「2画面が活きるネタはなんだろう?」って
考え続けるようになるわけですよ。
糸井
うん、うん、うん。
岩田
それが、結果的に、片方の画面を
タッチスクリーンに使うっていうアイデアにつながる。
だから、山内さんの情熱がなければ、
ニンテンドーDSはあの形をしていないんですよ。
糸井
大きいよね、その情熱は。
会社の個性っていうのは、
やっぱりそういうふうに表れるというか。
宮本
うん、そういうもんだと思います。
糸井
そういうもんなんですねぇ。
宮本
ぼくは最近、
「歳とったら、わがままになろう」って
盛んに言ってるんですけど、
それはやっぱり、山内さんのような存在が
組織には必要だろうとすごく思うからなんですよ。
糸井
わかる、わかる。
ぜんぶの意見を戦わせて、
公平に結論を出すわけじゃなくって、
「これが好きなんだ!」っていうようなものが
人や会社をまとめて引っ張っていくんですよね。
岩田
そうですね。
大きな組織になるほど、
「今回はこれにこだわると決めた!」
みたいなことが必要になってくるんですよ。
だって、会社にとって、
やったほうがいいことなんて無限にありますから、
誰かが方針を決めないと
パワーがどんどん分散していくわけです。
だから、宮本さんなり、私なりが、
「これをやりましょう」って
きちんと選ばないといけない。
糸井
そこはもう、正しさよりも思いの強さですね。
「飛び出さへんのか?」ですよ。
岩田
そのとおりです(笑)。
だからこそ、任天堂は、
バーチャルボーイの失敗があっても、
ゲームキューブに3Dの回路を仕込んだり
アドバンスに立体液晶を埋め込んだりして
しつこくトライしていくわけです。
宮本
で、トライするときに、
ひとつはっきりと決めているのは、
「メガネは、なし」っていうことです。
3Dを楽しむときに、メガネとかゴーグルは使わない。
それはもう、決まってるんです。
岩田
もし、バーチャルボーイの失敗がなかったら、
こんなに任天堂の関係者全員が
「メガネがある以上、3Dはありえない」
っていうことをはっきり言ってないかもしれない。
糸井
ああー、なるほど、そうですね。
うーん、おもしろいなぁ。