開発者寄稿コラム 日本でゲーム作ってます。

第四回~なんでスチームパンクにしたのか

こんにちは、パウロです。今日は、ついに『Code Name: S.T.E.A.M. リンカーンVSエイリアン』の発売日です。みなさま、ありがとうございます。それなので、スチームパンクのお話の締めとして、「なんでスチームパンクを舞台設定に採用したのか」「なんでスチームパンクは魅力的なのか」をご説明したいと思います。スチームパンクの魅力は、一言でまとめると、「ノスタルジア」、つまり古き良き時代を懐かしむ感情、を楽しむことにあるのではないかと思います。ただ、例えば「ファミコン時代へのノスタルジア」とか「60年代へのノスタルジア」などと違って、スチームパンクの世界は、実は誰も経験したことのない、架空の世界です。(存在しなかった、もうひとつの19世紀、ですから)では、スチームパンクがモチーフにする実際の19世紀、より具体的に、英国ヴィクトリア朝時代とはどんな世界だったでしょうか?この時代、技術や科学が大いなる進展を遂げ、現代社会の基礎を築いた一方で、経済格差や、性別による不平等などが当たり前の世界で、国民の大半にとって、かなり厳しい世界だったんじゃないでしょうか。世界の大部分は数少ない帝国列強の支配下にあり、そこに住んでいた人々は新技術がもたらした繁栄を経験することを夢にすら見られませんでした。これを「古き良き時代」と全肯定してしまうのは、どうも難しいように思うわけです。そこで、ファンタジーですから、スチームパンクは、この歴史の過酷な部分を削除し、理想に近い、より望ましい形の、誰に対しても開かれた「もうひとつのヴィクトリア朝」を再構築するわけです。ヴィクトリア朝時代のイギリスは、基本的に貴族や商人階級に属していた、イギリス男性主体の社会でしたが、「もうひとつのヴィクトリア朝」は誰でも歓迎です。当時なら自分の性別や文化的な背景によって関わることが禁じられた発展と冒険の世界を、安全かつフレンドリーな状態で再体験できるのが魅力なのです。また、19世紀ヴィクトリア朝時代のもう一つのアピールポイントは、その「分かりやすさ」だと思います。21世紀に暮らす人類全体が抱える知識の量自体は、莫大なものになりましたが、皮肉なことに、我々一般の人間は、その膨れ上がった技術や科学をほとんど理解できていないんじゃないでしょうか。それと違って、19世紀の技術や科学の知識はアナログで、基本的に現代の高校レベルにとどまっており、そのため親しみやすい魅力があると思うのです。たとえば、現代日常的に使われているスマートデバイスは多くの人にとってブラックボックスでしかありませんが、蒸気エンジンの原理はヤカンひとつで子供でも理解できます。この「理解から生まれる安心感」が、この世界観を楽しむ基礎になっているんじゃないでしょうか。スチームパンクというジャンルはしばしば舞台となるイギリスよりも、おそらく、アメリカと日本の方で人気を集めているような気がしてまして、そこから、その魅力のもう一つの特徴を見いだせると思います。日本は、言うまでもなく、1000年以上も前にさかのぼる文化を誇っていますが、イギリスのヴィクトリア朝時代にあたるころに戊辰戦争、明治維新が起こり、そこで現代日本社会の原点が生まれたと考えています。それとほぼ同時期に、アメリカは危機的内戦であった南北戦争を乗り越え、戦争から復興する過程において現代アメリカの基礎を築きました。この奇妙にシンクロした歴史を念頭におくと、ヴィクトリア朝という時代は、日本、アメリカいずれもの国にとっても、その有り様が形作られた、「思春期」のようなものだと思うのです。そのため、悲しくなるような記憶を蘇らせない程度には現代から離れているが、それと同時に十分の親しみを残すほど身近に感じ、未知なる未来よりも、自分の理想像を投影しやすい時代背景なのではないかと思います。私が『Code Name: S.T.E.A.M. リンカーンVSエイリアン』の世界設定にスチームパンクを選んだのは、このような理由に拠るものなのです。人の気持ちを揺さぶるモノを分析するのは若干野暮ではありますが、以上でスチームパンクの美的感覚における、ノスタルジアの秘密を少しでも明かすことができたなら幸いに存じます。スチームパンクのお話は、これにておしまいです。長い長いお話にお付き合いいただき、本当にありがとうございました。みなさま、『Code Name: S.T.E.A.M. リンカーンVSエイリアン』をどうぞよろしくお願いいたします。