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今この瞬間も懐かしむ気持ちが溢れてきます。小学生の自分が初めて遊んだRPG…。そして今でも一番好きなRPGです。このソフトに出会えたことでRPGの虜になり、今でもRPGを好んでプレイしています。 剣,呪文,色々な特徴を持つ仲間達,大海原を行く帆船,大空を翔ける不死鳥,闇の魔王,そして勇者。当時小学生の僕にはそのすべてがかっこよくて、まさに憧れの世界でした。いや、今でもたぶん憧れています。 3は冒険する世界が地球にそっくりである所も面白かったです。世界地図を広げて、ロマリアはどこでダーマがどこでと想像したりもしました。社会は苦手だったのに世界地図だけ妙に詳しくなってました。 とにかく大好きで、学校から帰ったらすぐコントローラーを手にテレビとにらめっこの毎日でした。ある日の事、親に呼ばれてもなかなかゲームを止めようとしなかった時に、親に家のブレーカーを切られたのは今でも忘れられません。その瞬間も相当ショックでしたが、電源が再び入った瞬間には泣きました。…そう、あの呪いのメロディが流れてきたのでした…。 ドラゴンクエストの曲や音は大好きですが、呪いのメロディだけはちょっとしたトラウマです。
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このゲームにハマったのは発売から十数年後でした。 当時大学生だった兄が夏に帰郷してきた時(私は高校生でした)に何気なく対戦したこのゲーム。 本来は協力ゲームであるのに落としあい、アザラシにくっつけあいをして、いかに早く相手をゲームオーバーにさせるかという遊び方しかやっておりませんでした。 相手は暇な大学生、忙しい高校生が太刀打ちできるはずもありませんでした。 そんな激戦のなかで生まれたスラング、ゲームオーバーになったときの音楽「ゴッゴッシッシッハッハァ〜」を略して「ゴゴシシ」。今でもこの言葉は兄+私の友達の間ではゲーム以外でも使われております。ぜひファミコンミニで聞いてみてください。そして流行らせてみてください。 アイスクライマーは最高の対戦ゲームでした。
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私がファミコンをやるのはいつも兄がいたからだった。 私がもし一人っ子や、姉妹だったらきっとファミコンの思い出なんて無かったと思う。 マリオブラザーズは後に大ヒットするスーパーマリオの前に出た作品である。今思えば随分シンプルなゲームだけど、あの時代は飽きずによくやっていた。 兄がマリオ、私がルイージ、なんにしてもゲームは兄の方が上手くて、こういう二人協力プレイのものは私がいつも先にやられてしまい、一緒に面をクリアしていきたいのにそれが出来ないもどかしさが付きまとっていたのも事実であった。昔はずっと同じ部屋にいて、ファミコンは共通の話題であった。そして一緒にやってるからこその二人にしか通用しない言葉があった。カメにやられると「かまれた」、氷の柱は「ブルガリア」(とける時の音がそう聞こえる)などなど。 今は別々の部屋なのでゲームを一緒にやる機会なんてホントまれだ。兄の影響を受けに受けた私は今は兄よりもゲームをやっているし、任天堂に思い入れが特に強い。このゲーム、兄とやりたいな、と思うと今でも(いいづらいけど)誘う時がある。もっとも「今日はいいや」と断られるのが普通なんだけど。
しかし、去年ファミコンが製造中止になるという事を聞いて、今家にある昔のファミコンが動くかどうか確認する時が来た。実に何年ぶりであろう。「製造中止」がきっかけで二人でまたマリオブラザーズをやる時が来るとは。 ・・でも結果は昔と一緒だった。私の方がゲームをやる事は多くなった今でも、兄の腕は健在だった。そして私は予想通り先にやられ、久しぶりのもどかしさを味わった。 でもとても嬉しかった。 もうあの時のように一緒にファミコンをする事はないのかとたまに悲しくなる時があったからだ。ゲームは一人でやるのも楽しいけど、やっぱり同じ感動を味わえる人がいると尚嬉しい。そういえばどんなゲームでもエンディングが始まる前に兄がつばを飲み込む音が聞こえるのがより私もドキドキしたものだった。 もうあの時からだいぶ年月がたったけどこれからも勇気を出して兄にゲームを一緒にやろうと誘ってみようと思う。
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初めてやったRPGソフトがこれです.当時まだ小学生の低学年くらいだった私は父親と二人で協力してやっていました.今のソフトと違いその難易度の高さは異常でした.父親が休みの時には二人で協力して,また父親はレベル上げをやっておいてもくれました.ロンダルキアへの洞窟というクライマックスの時に,最後のフロアは迷路が複雑で間違った道へ進むと最初に戻ってしまうというものでした.そこで父親に地図を方眼紙で書いてもらいました.やっと出口が見えたとき,父親が「とりあえず戻らない?」と言ったのは未だに覚えています.結局早く先が見たい私はそのまま進んだのですが,あの時父親は苦労が報われるのはうれしいが,終わってしまうのは勿体無いとも思ったのかもしれません.我が家ではファミコンも家族との大事な思い出です.
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対戦ゲームでもないのに 兄弟で毎日毎日、風船の割っ子してました
次はクリアーしようなんて言って 裏切り、相手の風船を割ったりして子供ながら心理戦も 楽しんだ記憶があります
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まだファミコンを持っていなかった小学生のころ。 クリスマスに向けて、サンタに手紙を書きました。 「サンタさん、ファミリーコンピューターをください。おねがいします。」
かくしてクリスマスの朝、靴下に入っていたのは「忍者じゃじゃ丸くん」のソフトでした。 弟には「頭脳戦艦ガル」のソフトが。 もちろん本体はありませんので、二人で説明書がボロボロになるまで読みまくりました。 ひたすら想像&妄想で脳内ゲーム。
最初は自分のファミコンでやりたいと、友達にもソフトの存在を教えず半年。 やっと誕生日にファミコン本体を買ってもらい、初めてスイッチを入れるドキドキ、「忍者じゃじゃ丸くん」の画面を見た時の感動は今も忘れません。
これからもドキドキをもってゲームをプレイしていきたいです。
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私がまだ小学校低学年の頃の話です。
2人兄弟の弟だった私は親にファミコンソフトをせがんでも 「お前にはまだ早すぎる」と言われなかなかソフトを買ってもらえませんでした。 仕方がないので友達の家に遊びに行って見ていた(私はゲームが下手だったので)ものでした。 特に私が夢中になっていたソフトがドラクエ2です。 初めて画面を見た時はその鮮やかな色とモンスターに遭遇した時の音が忘れられずどうしてもやりたくなったので親にせがんだのですがやはり買ってもらう事ができませんでした。
半ば諦めかけていた頃、婆ちゃんが旅行に行くと言うので婆ちゃん子だった私はおみやげにと「ドラクエ2」を頼んだ所、 「いいよ」と言う返事をもらった私は有頂天で婆ちゃんが旅行から帰ってくるのをわくわくして待っていました。
ところが婆ちゃんが買ってきたのは黄金色に輝く 「ドラゴンバスター」だったのです・・・ 当時60過ぎの婆ちゃんにはそんな違いなど わかるはずもなかったのですが私は婆ちゃんが憎くて
「婆ちゃんなんか大嫌いだっ!!」 と言って、その日は一言も話さなかったっけ。
毎日一緒に寝ていた婆ちゃん でもその日だけは両親と一緒に寝ました
婆ちゃん、その日はきっと寂しかったろうな・・・
次の日、学校から帰ってきた私は仕方なくドラゴンバスターを やってみたら意外にも面白い。 夢中になってやっていると突然婆ちゃんが部屋に入ってきて 「ごめんよぅ。婆ちゃん馬鹿だからわかんなくてよぅ・・・」
ゲームに夢中だった私は 「もういいから!邪魔だからあっちに行っててよ!!」 と婆ちゃんを部屋から追い出してしまいました。 そう言われた時の婆ちゃん、本当に悲しそうな顔してたな・・・
でもドラゴンバスターが面白くて怒りなんてとっくに忘れていた私は、その日の夜はいつも通り婆ちゃんの部屋に行きました。 婆ちゃんの布団には特別なぬくもりがあったのです。 私はその日、そのぬくもりを感じながら婆ちゃんの腕枕の中で眠りにつきました。
婆ちゃんが亡くなってからもうすぐ7年。 今更こんな事言うのも何だけど 「婆ちゃん、あの時はあんな事言って本当にごめんね・・・」
急病で亡くなった婆ちゃんに何もしてあげられなかったけど 一人暮らしをしている今でも、あの「ドラゴンバスター」は大事に持っているよ。
婆ちゃん 世界一面白いゲームとたくさんの思い出 本当にありがとう・・・
今でも黄金に輝くこのソフトを眺める度に あの日の婆ちゃんのぬくもりが蘇ってくるような気がします。
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小学生だった私は、親にクリスマスプレゼントとして ゲームが欲しいと言っていました。そして親が買ってきた のがこの1本でした。何十ものソフトの中から、 少しでも何か賢くなるソフトを選んできたのでしょう。 はたまた、東海道の53ヶ所でも言えるぐらいになればと、親は 期待して買ってきたのでしょう。ところがどっこい このゲーム、難しいったらありゃしない。主人公はほぼ垂直に ジャンプしながら、方向の定まらないかんしゃく玉をポイポイと 投げ、これまた絶妙なジャンプをする敵忍者をやっつけるという まさしく死んで覚えるアクションゲームではありませんか! 53ヶ所の地名を覚えるどころではありませんでした。だって 京を出たあたりですぐ死ぬんだもん!!
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小学5年の時の話ですがファミコンウォーズをお年玉で購入した時の話です。日々ファミコンウォーズに明け暮れていたら親にファミコン規約を設けられその内容は腹筋30回で3分・腹筋30回で3分・テスト80点以上1点につき1分などなど過酷なものでした。もう汗をかいてはファミコンをしての繰り返しでいま大人になってのこのボディはまさにファミコンウォーズで磨かれたものです。ファミコンウォーズ最高!
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ファミコンの一番の思い出カセットは、やっぱりナムコのファミリーボクシング。仲が良かった友達4人組で、学校から帰ったらいつもこれをやっていた。何が楽しいかって、体力が減ってきたら連射で体力回復できるところ。ゲームが下手な奴でも努力(連射)でカバーできることが良かった。 ところでこの連射のやり方は、4人とも真似が嫌で、定規使ったり、鉛筆使ったり、つめの裏でこすったり、いろいろ試したっけ。あまりに連射やりすぎて、指先のまめがつぶれて大流血してたときは、みんなで大笑いした。そういえば、このカセットはみんな持っていて、誰のでやるかでもめていたなー、同じゲームなのに(笑)。それに、だれのカセットかわかる様に、あだ名をマジックで書いていたっけ。
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