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双子の兄と友人の家に遊びに行き、そこにあったのが、「プロ野球 ファミリースタジアム」。
何だ、野球かと気の進まぬままプレイ開始。
操作も良く分からぬままあそびはじめたが、気がつくと友人宅の晩御飯の時間。
兄と今日の3時間について話しながら帰宅。当然、購入することが帰宅の10分の間に決定。布団の中でも会話が続いた。
次の日、下校後すぐふたりで貯金を手におもちゃ屋さんに走った。
双子ということもあり、二人の実力は同レベル、テレビの中での熱いたたかいは毎日繰り広げられた。
レールウェイズの強力打線vsナムコスターズのへなちょこ打線でもいい勝負だったのは、[ぴの]のバント&3スチールのおかげにちがいない。 |
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プロ野球 ファミリースタジアムは本当に熱中いたしました。
友達と、G対Tで130試合を対戦いたしまして、ノートにその結果を全て記入いたしました。
その時のTは、めちゃくちゃ強くて、ばあすが特に凄かったです。
130試合でホームラン60本位かっ飛ばしました!
それから発売されていくファミスタでは、徐々にTが弱くなっていって、子供心にショックだった思い出が有ります。それでも、その後発売されたソフトでも、ずっとTを使い続けましたが・・(笑)弱かったなー
今、思うとノートに130試合も良くノートに記入したなと思います。
今だったらやるのかな〜? |
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「アルゴスの戦士」・・・この名前は我が家では伝説になっているゲームです。
この頃は本当に一本のソフトを隅々まで遊び尽くしていました。
もちろん、この「アルゴスの戦士」もそうです。
複数プレイは出来ないけど、3人兄弟と幼馴染み3人がわいわい交代しながら楽しく遊んでいました。
小・中学生6人もいれば外で遊べばいいんだけど、その日は雨が激しく降り、雷まで鳴っていて仕方なく、、いえ、、晴れていてもしていたでしょう(笑)
とにかく私の番が回ってきて快調にゲームを進めていました。
その時!!!
ゴォオオオオオン!!!って、物凄い雷鳴がしたかと思うと、テレビが緑一色になり、コントローラーを持っていた私の手に電気が伝わってきました!!
もうビックリ以上のものです!
ビクッと腕が動いて、コントローラーが飛んでしまったくらいです。
でも怖いとかそんな気持ちは出てこなかったですね、、自分の事よりもファミコンが大事でした(笑)
すぐにファミコン・画面が緑一色になったテレビ、そしてアルゴスの戦士が無事かチェックしました。
幸いファミコンもテレビも、アルゴスの戦士も大丈夫でした。
皆騒ぎましたよ「ファミコンすげ〜!!」
「アルゴスすご〜〜い!!」
後で分かったのですけど、あの時雷が運悪く家のアンテナ付近に落ちたようです。
まさに天の一撃に耐えたファミコンとアルゴス!!
それ以来雷がある時には「アルゴスの戦士」は必ず思い出します。
アルゴス=雷、そのくらい衝撃的に心に刻まれたのです。
我が家にはもう、、「アルゴスの戦士」が残されていないのが悔やまれます。
ファミコンはありますよ。
でも、ネズミにセレクトボタンをかじられて、、今なおネズミの歯形が残っています(笑)
今思い出しても、あの日は貴重な体験をしたなぁ〜って思えます。
皆さん、雷がある時はテレビもゲームもつけないように(笑) |
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私が小学6年生になった頃、遊びの文明開化がありました。ファミコンというゲームの大ブーム。田舎とはいえ、私の住む町にも、その波はやってきました。そして、しぶる両親を説得して手に入れた最初のソフトが「ドンキーコングJr」でした。バナナなどおいしそうな果物を、わにをよけながら木登りして採るという、今思えば単純なゲームでしたが、本当に夢中になりました。 そんなある日、休み時間にゲームの話で盛り上がっていると、大好きなM君が話に割り込んできました。「おまえ、なんのゲーム持ってる?」「ドンキーコングJr・・・」「それ、いいなぁ。やってみたいなぁ。貸してよ!」それは私が持っている唯一のソフトで、貸せば自分が遊べなくなります。でも、普段恥ずかしくて話すことのできない彼と話せたことがうれしくて、つい大きくうなずいたのです。 自分より、好きな相手のことを大事に思う気持ち・・・あれはまさに恋だったのだと思います。今でも照れくさく、しかも懐かしく、あのときのことを思い出します。 |
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初めて買ったのが「マリオブラザーズ」だった。
当時はファミコン本体の人気がすごくて、並んでようやく買った。
弟と二人、お年玉を半分ずつ出し合って買ったのが、ファミコンと「マリオブラザーズ」。
私はルイージ、弟はマリオ。たまに、『誰がどの面までいけるか?』1人プレイで記録を狙ったりとか。
時には、どこまで行けるか?協力プレイ。が、一転して非道な戦いとなった時もしばしばあった。
その協力プレイ…『目指せ!100面以上!!』計画がついに本気モードで狙う時がやってきた。両親が法事で一泊する事になったからだ。邪魔をするものはいない。
いつも100面以上を狙ってはいたが、どうにも50面以上まで「姉弟仲良く」が続いた試しは無く、親の叱咤であえなく撃沈となったときもあった。
本気で100面を狙う。
100面以上になると何かある、という噂を信じての事。
心一つにした姉弟の絆は強かった。
一定時間で出てくるファイヤーボールを、ジャンプで下から消し、まん中の地震装置(と、我等姉弟は命名していた)を使用した後は、自らがその場所に立ち、ジャンプのサポートを行った。
どの位の時間を要したかは、今はもう記憶にない。
だが、姉弟タッグはついにみた。
100面の文字。
「なにか起こる?!」
……なにも起こらなかった。
それどころか、高速のカメ、高速のカニ、高速のファイヤーボールに太刀打ち出来なくなるのも最早時間の問題となった。
気力もすでに尽き果てた。
105面(だったと思う)にて、最初に私ルイージが、次に弟のマリオが逝った。
あの日ほど、姉弟の絆を強く感じた事はない。
あの日ほど、協力した事は、正直言って無い。
ありがとう!マリオブラザーズ!!
スーパーな彼等より、オーソドックスな君たちが、私達姉弟は大好きだっ!! |
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うちは両親と弟と4人家族でしたが
みんながゲームが大好きでした。
特に、マリオブラザーズは対戦ができ、協力ができたので
本当によく4人でローテーションを組んでやっていました。
ある年の年越し、11時からはじめたマリオブラザーズ。
そのまま年越しをしてしまい、観戦をしていた誰かが
「あ、年越したね。あけましておめでとう。」
「おめでとう。」
プレイをしている二人はコントローラー片手に
おざなりに「おめでとー、わー危ないっ。」と
プレイに夢中になったまま年を越してしまいました。
家族が離れ離れになった今、とても平和な時間を過ごしていたのを
思い返されます。
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僕が小学生の時それはでました、
そう、ファミコンです。
誰が一番最初に買うかでだいぶ
盛り上がりましたよ。
絶対一番に買ってやると思っていたんですけど、
友達に先を越されましたよ・・
いやぁ悔しかったですね。
どうにか親を説得してなんとか二番目に買うことができました。
うれしかったぁ。
マリオブラザーズ、毎日やりましたよ。
どっちが何面まで進めるか競争したり、
一緒に協力してやったり。
寝る間もおしんでずっとやっていました。
懐かしいですよ
今もまだゲームはやっていますが、
なんでしょうね、
面白いには面白いんですけど
今のゲームってなんかイライラしたりするところも
ありますね。
出来る部分と出来ない部分がはっきりしているというか、
でも昔のってそういうのなかったような気がします。
がむしゃらに遊んでいたのもあるんでしょうけど
誰にでもすぐになじめて凄く入りやすかったです。
ぼくの永遠の思い出です。
マリオブラザーズ、一生忘れることのない
思い出の一本です。
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ゼビウスってゲームセンターでメチャクチャ
流行ってましたよね、行列が出来るくらい♪
ホント並んでやっていた思い出があります。
上手い人のプレイを見ながらコツとかを盗んで
ちょっとづつ上手くなっていった記憶があります。
そんなゼビウスのファミコン版発売はホントに嬉しかった♪
そう言えば、バキュラっていう板状の障害物を
ザッパー256発打ち込むと壊せるっていう
噂が流れて、真に受けて延々撃ち続けてたのは
小学生の頃のほろ苦い思い出です、ホントに。
今、考えれば常識的に考えれば、そんな神業的な
連射が出来るわけないのに(笑)
もちろん、いくら連射しても破壊できないので
間違っても連射なんて無駄なことをしないでね。
小学生の頃は、テストで100点取る子よりも
隠れキャラ「ソル」の場所を全て覚えてる子の方が
「偉い」と思っていたのでありました。(笑) |
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現在、小学校低学年の我が子、この年代、ご多聞に漏れずゲーム、特にポケモン大好きっ子です。そしてその母32歳のこの私、小学生の頃から・・・世間一般のこの世代と同様、ファミコン時代からのゲームファンです。
思い起こすことはるか昔、ひとつ下の私の弟がファミコンを買ってもらいました。息子に甘いうちの母は、私がどれだけ頼んでも買ってくれなかったファミコンを弟のかわいい一声で買い与えたのでした。猛烈な私の抗議に彼女は、
「欲しいって言ってた?」
とそらとぼけ、
「あ〜忙しい。」
と、それまでテレビの前で横になっていた体を起こし、その場を離れようとするその不自然なさまは、どう見ても確信犯。ドアの前に立ちはだかって何か言おうとする私に母は、
「テレビは1台しかないからもう1つファミコン買ってとかいうのはなしね。」
・・・心の中を見透かされたのと、それまでの悔しさとでパニックになった私はその場でギャースギャース泣きました。涙と鼻水と口の端の泡ぶくをティッシュで拭いてくれながら彼女は言いました。
「あんたにはゲームを買っておいたよ。」
思いがけない一言に、グシャグシャの顔ながらも
「何のゲーム?」
と機嫌を直す様子の私に見せたそのゲームは、私の欲しかったあのゲームではありませんでした。もう、ふさがりかけた傷口をもう一度引き剥がされた私の心はズタズタで、何の返事も出来ず、只ただ泣き声をあげるだけ。いつもなら、ここいらでブチ切れてくる母なのですが、さすがに自分が騒動の火種を作ってしまったものだから、
「欲しいのと、交換してもらいに行こうか。」
・・・ポツリ、疲れたように言いました。
そんなこんなで手に入れたのが アイスクライマー!!!
氷を割って、数々の障害を乗り越えながら頂上制覇するそのゲームは、今思うと、このゲームを手に入れるまでの過程とリンクするところを感じます。
こんな思いまでして手に入れたアイスクライマーですが、熱中しすぎてそれしか見えなくなった私・・・夜、こっそり起きて狂ったようにゲームをしていたのが母にばれて、没収されてしまいました。
それから今現在にいたるまで、思い出すことはあっても、なかなか入手することが出来なかったこのゲーム、この度復刻版を目にしました・・・が売り切れ中。なんだか、また母におもちゃを取り上げられた気分です。しかーーーし、私も、もうあの頃の彼女と同い年。そろそろ呪縛から解き放たれるとき。今度実家に帰るときには必ずや手に入れておいて、思い出話に花を咲かせましょう。そして、今度こそこの目にアイスクライマーのすべてを焼きつけようと思うのです。 |
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あのころはファミコンが全ての娯楽の頂点でした。
まだインターネットも普及していない時代、ゲームの情報に詳しいというのは一種のステータスでした。
「ドラクエ2」の発売からしばらく経ったころ、深夜2時過ぎに一本の電話がかかってきました。当時は携帯もないし、ましてや実家住まいの私にそんな時間に電話が来ることなど滅多にありません。
恐る恐る電話を取ると、全く聞き覚えの無い声の男でした。相手はこう言いました。
「あのー、水門の鍵はどこにあるんでしょうか・・・?」
「・・・水門の鍵は●●の●●●が持ってますが、あなたはどなたですか?」
「いや、○○さん(私の知人)からあなたなら知ってるだろうとこの番号を教えてくれたのです」
「・・・・・・・・・・」
その後、いろんな質問に答え、電話を切りました。結局相手の名前すら聞くことはありませんでした。
突然の他者とのコミュニケーションに、僕は少々困惑しながらも、とても嬉しく思ったものです。
ゲームのことで悩み、楽しむことを日本中の人が行っていたあの時代、生涯忘れられない素晴らしい思い出です。 |
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