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小学生の頃、私の家は、週に1時間しかファミコンが出来なくて。遊びたくても全然遊べませんでした。
当然、発売からかなり時間たって、クリア2回目3回目とクラスメイトがやっているのに対して、私はロマリアで止まってしまう始末。
しかし、ひな祭りの人形が出された時、丁度テレビが7段飾りの雛人形のうらに隠れたので「これはチャンス!」だと思いました。
当時塾から帰って来るのが深夜12時を過ぎてたので、私が帰ってくると両親はすぐに寝ました。その間、雛人形が丁度良いカモフラージュとなり「勉強してるから余りねてない」とウソをつきつつ、毎日ほぼ徹夜に近い状態でゲームをしてました。
時々、親がトイレに行きそうな時は急いでテレビの電源を切って誤魔化したりしました。
その甲斐もあり、雛人形がかたずけられる前の日3/2にクリア出来ました。エンディングを見た時、親に勝ったという思いと、エンディングの感動に思わず泣いてしまいました。
大人になった今となっては、馬鹿に見えるかも知れませんが、これは私にとって一番大事な親とドラクエ3との戦いの思い出です。 |
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ぜんぞうさんがやる気を無くした時
どのコマンドを選んでも先に進まず
どうしたらよいものかと凄く悩みました。
そして、仕方が無い明日またやろうと
ゲームを中断する為に「そうさをやめる」を選んだら
ぜんぞうさんが「おまちください!私がどうかしておりました」
と言って話が先に進んだのには凄く驚かされました。
「そうさをやめる」で捜査を進ませるなんて
未だに忘れられない思い出です。 |
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小学校5年生のころ、僕は中学受験のための進学塾に通っていました。
非常に厳格な家庭で、ゲームソフトなんか滅多に買えない環境だったのですが、僕が「さんまの名探偵」を買いたいそぶりをみせていたら、珍しく父親から「じゃぁ、今度の模擬試験で塾で5番以内の成績が取れたらそのカセットを買ってあげる」と言われました。
その当時塾で5番になんか入ったことの無かった僕は、5番なんて無理だよ、なんてふてくされながらも、ゲーム欲しさに一生懸命勉強して当日の試験を迎え、そして家に帰ってきました。
すると、試験の結果なんか出ていないのに、もう買ってあるんです。さんまの名探偵が。
その上、父親はそのゲームを食器棚の上においてゲームを隠したつもりだったようで、「さぁ、今日の試験はどうだった?カセット買えるかな?」なんて聞いてくるんです。
僕は、その時点で、5番に入れないとしてもゲームを買って準備しておいてくれた父親の気持ちがとにかく嬉しくて、でもその気持ちを父親に悟られないようにしながら、「どうだろう」などと答えるのがやっとでした。
結局、僕はその試験で初めて丁度5番に入り、正々堂々と父親からごほうびとして「さんまの名探偵」をもらいました。
僕は、父親が前からそのカセットを買っていてくれていたことに気づいていたことを悟られないように気を付けながら、プレゼントに喜んでいました。
でも、プレゼントをもらったこと以上に、父親の気持ちにこたえることができたことが嬉しくて仕方ありませんでした。
お父さん、ありがとう。僕頑張ったよ。
そう心の中で思いながら。
そんな僕も、今は弁護士をしています。
現在に至る過程で正直色々な試練もありましたが、それでもめげずに頑張ってこれたのも、模擬試験から帰ったときに結果も出ていないのに既にゲームを買っていてくれていた父親の気持ち、その気持ちに気づいたときの感激、そしてその父親の気持ちに報いることができたときの喜びが僕の心に残っているからだと思います。
自分の努力の原動力は、あのときに得た感動だと思います。
あのときも言えなかったし、今では気恥ずかしくて一層直接言えなくなってしまっている言葉ですが、今でも心の中では常に思っています。
「お父さん、本当にありがとう。」 |
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その日、僕は友人の持ってきたイー・アル・カンフーを夢中で遊んでいた。
棒術使いのワン、火の玉を吹くタオ、鎖使いのチェン、手裏剣を投げてくるラン。熱い戦いが繰り広げられる。
何度かのゲームオーバーを経て最後の強敵、空飛ぶウーとの戦いまでたどり着くことができた。
手に汗がにじむ。緊張感がほとばしる。
と、その時。
「何?この人、イサオさんっていうの?」
背景には「功夫」の文字。
母ちゃん。それは「クンフー」だよ…。 |
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ファミリーコンピュータの人気はとどまるところを知らず、当時ファミコンを持っていないと全ての話についていけない……そんな時代。私が小学校2年生のある日。
両親がファミリーコンピュータ本体とソフトを3本セットで買ってきました。
内訳は「F-1」と「デビルワールド」、そして「クルクルランド」でした。
中でもお気に入りは「デビルワールド」で、明けても暮れてもあの白いツブツブを食べるのに必死。
学校へ行っている以外で起きているあいだ中、無我夢中でプレイする私と弟の体調と目の健康を気遣ってか、両親が「夜9時までにして早く寝なさい」条例を発令しました。
「ファミコンが遊べる!」ってだけで嬉しかったアホ姉弟は、素直に条例を守り、夜9時には床に入っていました。
しかし! この条例は我々の健康のためではなかったのです……。
夜中にトイレに起きたときのこと。なにやらリビングのほうで両親がキャッキャとはしゃいでいる声が聞こえたので、「珍しいな」と思い覗いてみると……。
なんとなんと! 大の大人が2人して「デビルワールド」をものすっごい楽しそうにプレイしているではありませんか!
驚いた私はしばらく見ているしかありませんでした。
そして2人がもうすでにかなりやり込んでいることに気づきました。
白いツブツブは全部食べずに残しておき、お互いを陥れ、どちらが最後まで生き残るか……ステージクリアが目標であり、姉弟力を合わせてプレイしていた純粋無垢な私達には到底思いつかなかった“大人の遊び方”をしていたのです。
「あの条例の意味はこういうことだったのか…。自分たちがやる時間が欲しかったのか…。大人もTVゲームで遊ぶんだ…。」
ゲームなど見向きもしない素振りを見せられていただけに、ものすごい衝撃を受けたのを今でも忘れられません。
大人の不思議さ、そして2人プレイで“協力”せずに“戦う”ことの面白さを学んだ1日でした。
……私はおかげで立派な、そしてあまのじゃくな大人になりましたよ、父さん。 |
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その青いディスクには、ワクワク感がぎゅっと詰まっていた。 「土ようと日ようしかゲームをしたらダメよっ!」という、小学生時分の、母からの呪縛。それはある意味、このゲームへの熱中度を上げたのかもしれない。見えない全国のプレイヤー達。自分がようやく出したこのスコアは、他の人と比べてどのくらい違うのだろう、という[?]マーク。週末の数時間だけ、それも弟とカワリバンコのおつきあい。想像していただきたい、その1打1打への熱中度を。 そして、村から1時間、汽車に乗って街まで出かけ、登録。結果は、中の下くらい。それでも、登録をしてもらう時のビビリ具合。そして、結果を知ったときの、得も言われぬ高揚感。 何のエニシか、いま私は、京都、任天堂の本社ビルが見えるマンションに住んでいる。窓の外には、夜の暗闇の中に、電気がいつも灯っている。そして、そのビルに『足を向けずに頭を向けて寝ている』というのは、出来すぎのような、本当のお話。 |
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カセットをゲットした家までの帰り道、みんながみんなドラクエを狙う敵に見えたものでした。電源を入れて、音楽が流れた瞬間の感動は、今も忘れることはできません。 |
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ドラクエ。懐かしいねぇ。たしか私が小学校3年生くらいに発売された作品。でもシリーズ1作目は特に人気があった訳ではなかった記憶が・・・。2作目はなんか急に人気出て「俺なんか1作目からの大ファンだい!」と幼心に思ってたっけ。
ゲームの方では何と言ってもド肝を抜かれたのが、画面からはみ出る大きさの竜王。ドキドキしながら戦ったのを覚えてる。倒した次の日は当然「竜王ごっこ」。手をカギ爪にして横斜め上を向きながら、「ディラリラリ〜ン♪」って竜王の音楽を口ずさめば竜王の出来上がり。んで、当然友達を攻撃。ご丁寧に「バボー!」って火炎放射の効果音つき。攻撃された友達もなぜか竜王で反撃。今思えば「なんだかな〜」って感じだけど、そのときは楽しかったなぁ。
小学校に警察だか消防隊かなんかのブラスバンドが来て、退屈だなぁと聞いてたら最後に吹いたのが「ドラクエのオープニング」で、急に興奮して聞き入っちゃった事もあったなぁ。
そんな私も今年で30歳。今でも最新作が出る度に買ってるし、オープニング画面であのテーマ曲を聴くとやっぱり興奮するし!ドラクエを前にするとあの頃に戻る!!さすがに「竜王ごっこ」はやらないし、会社の同僚に「ディラリラリ〜ン♪ バボー!」ってやんないけど。剣道始めたのもドラクエの影響あるし。自分の生活に一番影響を与えた作品じゃないかなぁ。
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よく友達とマリオブラザースを2人同時プレイで遊んだ。その友達とは今でもよく会うが、パパになり、ヒゲをはやしている。まるでマリオのようだ。 |
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まだファミコンブームがやってくる前だったと思います。我が家には四角ボタンのファミコンがサンタさんから届けられました。そのとき、一緒に付いていた唯一のカセット「マリオブラザーズ」。妹とともに毎日のように遊びました。それから数ヶ月経った日曜のある日、私はとてもひどく母から怒られ、めちゃくちゃ泣いたことがありました。いまとなっては、なぜ怒られたのかは忘れてしまいましたが、普段怒られても泣かない子だった私にとって、泣いたという出来事が記憶として残っています。ちょうど涙も出尽くしシャックリが出始めたころ、父がどこからか帰ってきて、お母さんには内緒だぞと言い、にやりと笑いながら紙袋を私に手渡しました。袋の中をのぞくと、ファミコンのカセットがひとつ、「ドンキーコングJr」が入っていました。さっきまで泣いていたのが嘘のように私は大喜びし、いきなりファミコンの電源をONしたことを憶えています。父から送られたファミコンカセットは後にも先にも「ドンキーコングJr」1本だけです(サンタがプレゼントしてくれたマリオブラザーズは除く)。
ゲームが特別好きではない父が、なぜあの日、ドンキーコングJrを買ってきてくれたのかは謎ですが、優しい父に触れた一日として今でも私の心の片隅に残っています。 |
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