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あれはまだ僕が小学生の頃だったでしょうか・・・
当然、取説を読むこともなくカードリッジの接続部分に
息を吹きかけ、差し込みスイッチオン!!そしてゲームスタート!!
カラテカは波音の聞こえる崖の手前に立っていた。
とりあえず僕はカラテカを右に走らせた・・・すると
「あ、敵だ・・・ん?カラテカ走ったまま止まらないよ!
このままだと敵に突っ込んで・・・あ、突っ込んだ!」
・・・GAMEOVER・・・
次は敵の前で止まることが出来た。
敵は構え戦いの準備が出来ている・・・しかしカラテカは
「あ、お辞儀してる、カラテカが敵に対してご丁寧に
お辞儀してる・・・ん?構えないよ!いくらボタン押しても
お辞儀しかしないよ!あ、敵がそんなカラテカに容赦なく
蹴りをおみまいした!」
・・・GAMEOVER・・・
なかなかクリアできないので裏ワザを探してみた。
「この崖の下に何かありそうだな・・・
よし!崖の方にいってみようっと・・・あ、普通に落っこちた」
・・・GAMEOVER・・・
時は流れ、僕は20歳になっていました。
友人と久しぶりにファミコンをプレイ!!
数年ぶりにカラテカをレッツ・プレイング!!
・・・いくら大人になってもクリアできない。
すっかりコンティニューに慣れっこの僕にはますますクリアできない。
すかさずコントローラーを友人に手渡した。
・・・友人がプレイを始めてから数時間後・・・
な、な、なんとクリアしやがりました!!
この持ち主である僕を出し抜いてクリアしちまいましたよ!!
お陰様で数年経った今、ようやくエンディング見れましたー!!
超難解!ムッツリでマッタリなゲーム
それが僕の中のカラテカ・メモリーです。
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タイトル:ファミリーベーシック(ファミリーベーシックキーボード付き) |
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初めてファミコンに名前を聞かれた日、制限時間内にキーボードから文字が拾えなくて、冷たくサヨウナラを言われて以来、3年ぐらい、度々使ったソフトでした。
雑誌に載っているプログラムを一字一句注意して入力する、という今時流行らない地味な作業を乗り越えた先に、自分で遊びを考え、それを自分で作ってみる、それが思ったとおりに動くというのは、どんな大作ゲームをクリアするよりも喜びであり、感動であり、今の開発の仕事の原動力になっています。
1982byte のプログラム容量は、ノートにリストを書き写して友達と交換するのに手頃で、当時のノートがまだ本棚の隅にありました。後に買ったデータレコーダのカセットテープには、ヘッダとして録音した当時の肉声が残っているはずです。それらを再び呼び出す機会はないと思いますが、寝食を忘れてプログラミングに熱中した遠い昔の思い出として、静かに残しておきたいと思っています。
そういえば、私は今日で生まれて何日目になるんでしょうか?
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お金の無かった学生当時、500円で新しいゲームが遊べるディスクシステムの書き換えサービスは大変重宝しました。一枚のディスクで色々なゲームを書き換えては遊びましたが、「バイオミラクルぼくってウパ」だけは書き換えをしてくれるおばさんにタイトルを言うのが恥ずかしくて「ウパ・・・お願いします。」としか言えませんでした。聞き返されたら諦めるつもりでしたが、結果は・・・大丈夫でした。今でもたまに遊びますが、遊ぶたびに書き換えしてくれたおばさんの「はい、ウパね!」という元気な声を思い出します。 |
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ファミコンが世に出て間もない頃。
新作が発売される度に親にねだり、時には友人と貸し借りしながら
様々なゲームと出会いました。
ゲームがまだ「子供のおもちゃ」だった頃。
今よりずっとずっとゲームで遊んだ時代。
そんなある日。
新作ソフトが発売されたと聞き喜び勇んでショップに買いに行くと、
お金が足りません。
ファミコンソフトの定価が変わったのだそうです。
家に帰り、小さい自分よりさらに小さい弟妹にそう話すと、2人は
ちょっとしかないお小遣いの中から足りない分を出してくれました。
それ以来その水色のソフトは、私と、私の2人の弟妹の大切な宝物に
なったのです。
…弟の作成した面は、とても難しかったですけどね。 |
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あれは友人に言わせると一生忘れない日であるらしい、もちろん私も例外ではないです、当時ファミコン版グラディウスで私の周りに私より上手な者はいない事は自他とともに認めていた、ある休日、友人のUが朝の9時頃から私の家に遊びに来た、しかしその時我が家にソフトはグラディウスしかなかったのである、早速二人用でプレイをはじめることにする、先ずは私が先だ・・・Uは私のプレイを見ている、そして一時間、二時間と時間が過ぎていく・・・ミスをしないのである(笑 仕方なく友人はいったん自宅に昼食をとりに帰る。
そして一時すぎに友人がもどってくると・・・・
未だ続いているのである(笑
そのまま延々と夕方まで友人は私のプレイを
見ているだけ、そして日もくれ友人が帰るとき一言
「俺今日一日何やってたんやろうなぁ・・・」
あれから十年以上の時がたったけど
今でもUとは仲良しである
そして今でも時々その悪夢のような一日の話をしながら当時を
振り返る事があります。 |
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マリオとルイージが協力してカメとかカニをやっつけるゲームだったはずなのに気づけばスマッシュブラザースのような戦いのゲームとして遊んでいたのはオレだけか。今でも火の玉から逃げ回るマリオの夢を見ます。 |
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やはり対戦がおもしろいこのゲーム。
フライがどうしてもキャッチできないA君がいました。
そのA君と対戦したら外野フライはすべてランニングホームランに
なっていました。
いつも大差で敗戦するA君。
泣きそうな顔でA君が言いました。
「なんで、みんなフライが取れるんだよ」
私は答えました。
「打球の影を追うんだよ」
その後、私のランニングホームランは激減しました。 |
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当時、中2だった私。
友人を数人招いて、当時流行った「無限増殖」なる裏技でマリオを増やして盛り上がっていたときの事。
折角大量にマリオを増やしたにもかかわらず、それを全て溝に落としてしまったKちゃん。
彼女ののダメっぷりと、何十人ものマリオの無念を思い出すと。
未だに顔がにやけてしまいます。
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がしゃん!がちゃ!どごっ!
コタツからは、今日も派手な音が響く。
マリオのジャンプに合わせて、母がコントローラーを
上下左右に振り回すからだ。
あー、五月蝿い…て、言うかファミコン壊れるから。
何度注意しても、母の動きは止まらない。
隣に座ってそんな母を眺めるのが、実は楽しいんだけど。
でも、そのお陰でファミコン2台壊したんだよね。
今となっては、懐かしい思い出。 |
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私の家は昔から厳しく、子供の頃にオモチャを買って貰った事が
殆どなかったのですが、なぜかファミコンだけは例外で、
ほぼ発売されたと同時に家にありました。
それはどうやら、母がプレイしたかったからのようで
ロードランナーやドラクエなど、私以上に母の方がハマっていて
なかなか遊ばせてもらえませんでした。
パズルものが好きな母のお気に入りは「テトリス」。
動きが鈍いのでクリアするまでに時間がかかりますが、
根気で何とか達成、最後に花火が上がったら大喜びで
私をテレビの前に呼んでくれて、
居間の電気を消し、暫く2人で見つめていたりしてました。
熱中してプレイする母は、夜中までテトリスをする事も多く、
布団の中にいる私の夢の中では、トロイカの音色が流れていたりする事もしばしばでした。
今年65歳になる母ですが、今でもファミコンが大好きで
毎日のように遊んでいます。
残念ながらテトリスのソフトはなくなってしまったのですが、
またいつか、母に花火を上げてもらって一緒に見たいな、と思います。 |
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