Nintendo Nintendo GDC Game Developers Conference 岩田聡 GDC講演内容
2011年3月2日(現地時間)サンフランシスコで行われたGDC(ゲーム開発者会議)。
その中で、任天堂社長の岩田聡と米国任天堂社長のReggie Fils-Aimeがゲーム開発者向けに行った講演会の動画とその日本語訳をご紹介します。
※禁無断転載。一部を引用する場合は、引用元のURLを必ず併記してください。
岩田聡:

幸いにも、コストの埋め合わせの手助けをしてくれる成長分野が一つあります。それはゲームをしている人々の数です。 

皆さんご存じのとおり、任天堂はゲーム人口拡大を基本戦略としております。ニンテンドーDSやWiiもその戦略で展開してきました。

我々は、その成長がどれほど大きなものかを知りたいと思いました。ただし、ゲーム機が何台売れたかは(調査会社の)NPD他のデータを見ればわかりますが、1台のゲーム機がどの程度複数のプレイヤーで共有されるのか、そしてプレイヤーはどんな方々なのかはわかりません。

そこで任天堂では、大規模な調査を年に2回行っています。日本では、2005年5月からこのような調査を実施し、後にアメリカとヨーロッパへと拡大しました。

ここアメリカで当社は、外部の独立した組織と協力し、全米の6歳から74歳までの一般消費者を対象にして、事前に承諾を得た上で、サンプル数約5000名の郵送調査を実施しています。

これが、アメリカで初めてこのような調査を行った2007年11月時点でのアメリカのゲームプレイヤーの構成を示すピラミッドチャートです。左端が6歳、右端が74歳で、上が男性、下が女性です。

青が示すのは過去1年以内に、自宅で所有しているゲーム専用機で一度以上遊んだ人です。黄色い「スリープユーザー」は、過去に遊んでいたけれどもこの12カ月間は遊んでいない人、ピンクの「ノンユーザー」は、一度もゲーム専用機で遊んだことがない人たちです。

2007年11月当時、過去1年以内に家庭用ゲーム機で遊んだ「アクティブユーザー」は、1億1400万人を若干下回る程度でした。

では、昨年2010年10月の調査結果を見てみましょう。過去12カ月間に遊んだことのある人の数は1億6000万人弱にまで一気に増えています。

別の方式で示すと、2007年11月には6〜74歳の45%がゲーム専用機で遊んでいましたが、2010年10月にはこれが62%に増えました。

そして、もう一つの表では、どのグループが一番増えたかを示しています。下の濃いピンクのバーはニンテンドーDSあるいはWiiを持っている人々を示しています。これら2機種が合衆国におけるゲーム人口拡大の推進力として働いています。

次のグラフは欧州で行っている同様の調査結果です。任天堂が現地で直接ビジネスを展開しているドイツ、英国、フランス、スペイン、イタリア、オランダの6カ国の合算になっています。アメリカに比べると、まだまだアクティブユーザー比率が低いです。

しかしそれは、より大きな市場拡大の機会があるということなのです。

そして、まだ我々がこういった調査で情報をお伝えできない新興市場も数多くあります。

我々全員にとって勇気付けられる話です。

私がお話ししたい過去四半世紀のもう一つの側面は、単に言葉の問題ではあるのですが、しかしそれは重要なことだと私には思えることです。

今日、人々はよくソーシャルネットワークゲームについて話しますが、それらを「ソーシャルゲーム」と単純に呼んでいます。しかし私は、これら二つは大きく異なるものであると思っています。

「ソーシャルネットワーク」とは通常、モバイル装置やPCによってつながるソーシャルな人間関係のグループを意味します。そして、そのようなネットワーク上での主要な活動の一つがビデオゲームプレイです。

しかしこれは、一つのゲームを取り上げて「これはソーシャルなゲームである」と非常に大きなくくりで表現することとは全く異なるお話です。事実、ソーシャルな性質を持ったビデオゲームプレイの歴史は50年以上にも遡ります。1962年、『スペースウォー!』と呼ばれる初期のコンピューターゲームは、プレイヤー同士の直接対戦を実現した最初のゲームとなりました。このゲームは、研究所の中に存在しただけでした。

1970年代に入るまでには、人々はもうコンピューターのネットワークを通じて遊んでいました。その当時のオンラインゲームはまだテキストベースでしたが。グラフィックがなくても、人々は楽しんでいたのです。

家庭用ビデオゲーム機は、人々が同じ部屋で一緒に遊べるようにしました。

1977年にアメリカでATARI2600が発売された時も、2つのコントローラが付いていました。同じ頃任天堂も日本で『テレビゲーム6』や『テレビゲーム15』を発売しています。ですから、ニンテンドーエンターテインメントシステム(ファミリーコンピュータ)が発売された時に2つのコントローラが付いていたことは自然なことだったのです。

次に私たちは、NINTENDO64で使えるコントローラの数を4つに増やしました。それにより、『マリオカート』、『ゴールデンアイ』や『スマッシュブラザーズ』といったゲームで新レベルの興奮が実現しました。

そして、Wiiリモコンや『Wii Sports』の登場によって、非常に多くの新しい皆様が一緒にゲーム体験をすることの心地よさを味わわれました。

マルチプレイの実現は携帯型システムにおいてより困難でしたが……、こちらもまた進化を遂げてきました。

ケーブルでつながれたゲームボーイ上で数百万人が『テトリス』で遊びました。

この初期段階では、「ソーシャル」とは単に「競争する」という意味でした。そしてゲームボーイの『ポケットモンスター』が、交流に新たな側面を加えました。

2004年にゲームボーイアドバンス用に『ポケットモンスター ファイアレッド・リーフグリーン』が発売されたのを皮切りに、ポータブルゲームプレイにおいてワイヤレス通信は当たり前のことになりました。

ゲームのソーシャル的な側面を開発した功績を、任天堂がその実態以上に得ようとしているように思われることを望んではいません。他の皆様は離れた場所にいるプレイヤーをつなぐことに熱心でしたし、『コール・オブ・デューティー』がここ数年間で数百万のオンラインプレイセッションを記録することでオンライン現象を生じさせたのは明らかです。

また、マイクロソフトがそのXbox LIVE構築と維持に多大な投資をしている事実も認められねばなりません。

ソーシャルネットワークの誕生よりもずっと以前から、過去四半世紀以上もの長きにわたり我々が提供してきたこれら数多くのソーシャルエンターテインメントを、我々クリエーター自身が無視してはいけません。

これらのことを踏まえた上で、私は、過去25年間で最も大切な教訓は、何がゲームプレイヤーの皆様を最も楽しませることができたのか、彼らに遊びたいと思っていただけたのは何かを正確に理解することであると思います。

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任天堂ホームページ ※このページの内容は海外での講演内容のため、一部英語での表現が含まれています。